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アルバイト時代から17年、現場で5番目のキャリアを生かして、
力の源のDNAを伝える一人として後輩を育ててゆきたい。

松下浩二

一風堂事業本部東日本第6チームリーダー

福岡商業高校を卒業すると、松下浩二は西鉄国際ビジネスカレッジに進んだ。旅行とホテルの実務を学ぶが中退する。一風堂で始めたアルバイトが面白くなり、飲食業に興味を覚えたからだった。
松下は2000年5月、天神店のオープニングスタッフとしてアルバイトに入る。店長は篠原猛、アルバイトリーダーは河原慎治だった。当時の状況を松下は語る。
「猛さんからはよく叱られました。自分ではできているつもりでしたが、まったく猛さんの望むレベルには達していませんでした。すべてが雑で、それが雑なことに気がついていませんでした。そんな状況でしたが、一風堂での仕事がだんだん楽しくなってゆきました。自然と学校とは疎遠になりました」。

先輩たちの魅力に魅かれて社員となる

2003年になると松下は、薬院店のオープニングスタッフとして立ち上げに参加する。そして半年後、札幌狸小路店のオープニングに向かうことになる。札幌狸小路店のオープニングには、初めての試みとして全国からリーダー格のアルバイトが集められた。松下もその一人として参加したのだった。「レベルの高い仲間がたくさんいました。その中で、自分のレベルが物足りないことを痛感しました。以前、猛さんにさんざん叱られたことがようやく理解できました」。
現場でもまれながら松下は徐々に力をつけてゆく。そして2005年1月1日、力の源の社員となる。
「一風堂に魅力を感じていましたが、現場で働く厳しさも分かっていました。このまま一生力の源で仕事を続けるのか迷いましたが、先輩たちの魅力に魅かれました。猛さんは近寄り難い存在でしたが、とにかくカッコよかったですね。緒垣さんからは、たくさんのフォローを受けて育てていただきました。そういう先輩たちに憧れて入社に至った次第です」。

仙台で店長となるも、人が離れていった

入社後、3ヶ月の研修を受けると名古屋の本町通り店への配属となった。ここでは人がいなくて崩壊していた店を、百田店長とともに立て直すことが求められた。 その後2008年、篠原真理子が店長を務める盛岡店への異動となる。そして2009年、仙台青葉通り店へ店長として赴任する。ここで松下は店長としての試練を体験する。 「私は店長の仕事が分かりませんでした。“こんな店にしたい”というビジョンを持てなかったため、徐々にスタッフが離れてゆきました。言葉と行動が伴わずスタッフとの信頼関係も築けませんでした。月1,500万円ほどあった売上げも1,300万円に落ち込みました」。
松下は、店長としての試練を経験したのち、2010年仙台東口店の立ち上げを受け持つ。 松下は語る。「仙台青葉通り店の経験を生かして、東口店では “ありがとうを表現する店” というショップコンセプトを掲げて立ち上げに望みました。私はそれまで、言葉も含めて表現することが下手なタイプで周りの人たちにはお世話になりっぱなしでした。 “ありがとうを表現する店”は、自分自身に向けた言葉でもありました。自分の思いが固まって表現するものが見えてきました。そしてようやくスタートラインに立てた、店長の仕事のスタートラインに立てたと感じました。そのとき猛さんも関わってくれていましたが、安心して見ていただけたようでした」。

地域に根ざして、地域に喜ばれるお店をつくる

2011年、松下はクロスガーデン川崎店の立ち上げに参加した。そのとき、東日本大震災が起こる。未曾有の大災害に東北地方は襲われたが、松下は仙台に戻ることができなかった。本格的に復帰できたのは4月1日だった。その後、仙台青葉通り店の西郷、暖簾分け店主となった篠原真理子とともに地域とお店の復興に尽力した。
2014年1月次の職場は富山となった。富山店は当時人が足りず崩壊状態でヘルプに頼らないとお店が回らなかった。そして10人から25人へとスタッフを強化するのに1年の時間を要した。