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くしふるの大地で素の自分と向き合えた。
“主体的である”ことを行動で示したい

堀江 佑樹

行集談四朗商店博多店

グローバルダイニングで飲食の仕事と出会う

法政大学付属第二高等学校の3年生のとき、堀江佑樹はグローバルダイニングが運営するモンスーンカフェでアルバイトを始めた。
そこでの経験が、のちのち堀江が飲食業に携わるきっかけともなった。
同社の創業者長谷川耕造氏は、六本木、青山、原宿、西麻布、代官山、渋谷、白金といったスポットをいち早く開拓し、飲食業の新たな旗手として流行の先陣を切ってきた。そして同社が運営する西麻布の権八には、2002年2月に小泉総理とブッシュ大統領が訪れ大きな話題ともなる。堀江がモンスーンカフェでアルバイトを始める2年前だった。
堀江は法政大学文学部に進学する。しかしながら、高校時代から好きだった映画の仕事を志して3年生のときに大学を中退。映画を学ぶためバンタン映画映像学院で2年間学びながら、アルシネテランという映画配給会社でアルバイトを始め後に社員となる。
堀江は同社で映画宣伝の仕事に就く。マスコミ向けの試写会を行い、評論家に新聞や映画関連の雑誌に記事を書いてもらうことがメインの仕事である。当時の状況を堀江は語る。
「宣伝チームには女性が多く、人間関係がもつれていました。私もストレスを抱えて体調を崩すことも多々ありました。結局自信を無くして退職しました。」 ここでの挫折を堀江は後々まで引きずることになる。

モンスーンカフェで永井達也と出会う

映画の配給会社を退職したのち、堀江はグローバルダイニングに社員として転職する。
グローバルダイニングの特長の一つとして、代表・長谷川耕造氏が持つ経営哲学がある。徹底した実力主義と、結果を第一としており、つねに社員・アルバイト全ての従業員に対し競争意識を徹底させている。従って、アルバイトにも大きな権限が与えられている。
堀江は半年間イタリアンレストラン・ボエムで仕事をしたのち、古巣のモンスーンカフェに配置転換となる。当時の状況を堀江は語る。
「前職の挫折を引きずっていて、状況に流されていました。競争風土の中で、主体的になれない自分がいました。」
そんな中、堀江は後に転機を与えてくれる人物と職場で出会う。現在力の源カンパニーでチームリーダーを務める永井達也である。
モンスーンカフェで堀江とともに働いていた永井は、駒沢のスペインレストラン「カサデアキ」へ移ることになる。モンスーンカフェで以前一緒に働いていた社員から声をかけられたことがきっかけである。
そして、「カサデアキ」の隣にあったのが一風堂駒沢公園店、店長は河原慎治。永井は河原と力の源に惹かれ同社へ転職する。
そして2016年1月、永井から声がかかり、同年4月堀江は力の源に入社した。縁は繋がるものである。

お店は自分を変革して成長させる場所

堀江は4月に大名本店で2週間の研修を受けたのち博多駅の談四朗キッチンへ配属となる。店長は喜屋武良秀、誠実であたたかい人柄で料理を専門としている。
7月にはくしふるの研修へ参加した。
そして大自然のなかで堀江は客観的に自分を見つめなおした。
「くしふるの大地では、一度自分をまっさらにして見つめ直すことができました。その時、自分に足りないものが見えてきました。それは主体性でした。自分で判断して主体的に行動する力が足りないと強く感じました。いつも上からの指示を待っていました。そして、店長じゃないから、自分には権限がないからと言い訳をして行動することをためらっていました。」
なぜ、そうなのか?
「最初に就職した映画会社での挫折が尾を引いていました。精神的にもダメージがあり、仕事に前向きになれない日々が続いていました。そんなとき、永井さんから声をかけて頂いたのです。力の源で心機一転、一から出直したいと思いました。」
談四朗キッチンは昨年(2016年)6月に「行集談四朗商店 博多店」としてリニューアルしたが、堀江はこの機会を、自分が主体的に軌道に乗せたいと考えている。そして喜屋武、吉崎と話し合い2つの施策を決めた。
一つはメニュー構成の変更。新しく週末ランチを提供することにした。もう一つはスタッフ教育の強化である。グローバルダイニングでは、店長の指導のもとにOJTとロールプレイに力を入れ現場力を高めていた。行集談四朗商店 博多店では、採用を強化しつつアイドルタイムを活用してスタッフの育成に力を入れていく。そして、アルバイトスタッフが活き活きと働ける環境を作ってゆく方針である。
堀江は行集談四朗商店 博多店の現状は自分の状態と一致すると思っている。 「自分が元気でないと、お店も元気にはなれません。お店は自分の鏡です。 くしふるで気づきを得てお店に戻ってきました。くしふるでの気づきを行動に移してお店を変革することが自分の役割です。お店が良くなれば、自分も良くなる、変革できます。お店は自分を変えて成長させる場だと気付きました。それが、力の源の理念である“変わらないために、変わり続ける”の意味するところです。」

30代をいかに生きるか、その入り口に立つ

堀江は8歳から12歳まで父の転勤によりバンクーバーで過ごしている。平日の月曜日から金曜日までは現地の小学校に、土曜は日本語学校に通い日本の教育を学んでいた。英語は日常会話であれば大丈夫だそうだ。そんなことを思いつつ自分のビジョンについて語る。
「他の業態のお店も経験したいですね。料理の技術とマネジメント力を高めながら店長を目指します。そして、ラーメンの価値を高め、ラーメンとともに日本の文化を伝えるために海外での仕事も経験したいですね。」
堀江は現在30歳、職場においても人生においても大きな転機であろう。課題であった主体性の弱さを克服して、いかに行動を起こせるか、まずは行集談四朗商店 博多店での取り組みが期待される。