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成長する力の源を、
組織の中から引っ張る存在になる。

古俣 洋平

一風堂事業本部

東日本第7チームリーダー

一風堂とバスケットボールに打ち込む

北陸の雪国、新潟市が古俣洋平の故郷である。中学校から高校時代までバスケットボールに熱中した。高校時代は182cmの長身を生かして力仕事のセンターを任された。チームプレイの面白さや、勝負所でのここ一発のシュートなど、バスケットを通して学んだことは多い。
巻高校は文武両道を教育理念とする進学校で、特に勉学に対する指導は厳しかった。その校風の中で、古俣は一生懸命に一つのことに打ち込むことができた。
一年の浪人を経て神奈川大学英語英文学科に進学する。同級には幼稚園から一緒だった小竹がいた。小竹の誘いもあり、1年生のGWが明けると一風堂横浜ポルタ店でアルバイトを始めることになる。そして大学では、一風堂でのアルバイトと、サークル活動でのバスケットが古俣の生活の柱となった。

一風堂でのアルバイト経験は大きな誇り

就職活動に入ると、他の飲食企業や地元の銀行にトライする。数社から内定をもらい、どこに行ったら自分の道が開けるかと思案する。
ある飲食業の人事担当者からは「このまま一風堂に入ってもうまくゆかないよ」と言われた。ホテルや旅行会社に内定していた友人たちからは「飲食業とは、大変な道を選んだね」と。古俣には反骨の感情が湧き起こる。
「一風堂では一生懸命に取り組み、アルバイトリーダーに選ばれ、お店を支える重要なスタッフの一人でした。リーダーシップも学ぶことができ、それが自分の誇りでもありました。そこを否定された感じがして、力の源で成長した姿を見せてやるという闘志が湧いてきました」。
そして古俣は2011年4月、力の源に入社する。

3年間頑張らないと何もつかめない

社員になると新店の刈谷店での研修に入る。そこで感じたことは。
「井の中の蛙でした。何もできない自分がいました。他店からサポートに参加したアルバイトさんたちの方が、営業の質、感度も自分よりも勝っていました。言葉も伝わりませんでした。」
このとき古俣は、アルバイト時代の4年間はゼロだと考えて取り組まないといけないと感じた。
そして入社して2年が経ったころから状況は好転し始める。店も徐々に任されるようになっていった。その当時を古俣は振り返る。
「河原会長が言われていた、『とりあえずは3年頑張ってみろ』の意味が分かりました。1年目は全然見えませんでした。2年目の終わりぐらいから少しずつ仕事が分かりかけてきて、3年目に入ると7割ぐらい把握出来るようになりました。それまでは自分のことしか考えることができませんでした。自分が変わることにより、周りもちゃんとついてきてくれることが分かりました」。
古俣はまず、言ったことと行動することを一致させた。そこをスタッフさんたちはいつも見ている。その具体策として掃除から始めた。習慣清掃、トイレ掃除など率先垂範に務めた。そこからお店が変わり始めた。
「変わらないために 変わり続ける」という理念も、少し理解できるようになった。

スタッフと社員を成長に導くことが店長の仕事

2014年には、新店ららぽーとTOKYO-BAY店の立ち上げ店長に推薦される。
古俣はお店の営業に関しては多くの経験を得ていたが、立ち上げに関しては何も分からなかった。そこで、新店立ち上げチームの山村が用意したTODOリストに従って準備を進めた。
「お店は店長がポイントです。分からないこと、出来ないことはたくさんありますが、そこは出来るスタッフに任せて、大きな視点から俯瞰することが大切です。そして大黒柱的な大きな器として立ち位置を決めて取り組めば、スタッフはちゃんとついてきてくれます」。

ららぽーとTOKYO-BAY店は、1年ほど苦戦はしたが2年目からは安定したマネジメントができるようになった。
そして2015年6月からはイクスピアリ店の立て直しのため、2店舗の店長を任されることになる。
イクスピアリ店はオープンして1年ほど経過したお店で、1,900〜2,000万円の月商を上げていた。常にピーク状態で採用と教育が追いつかない状況だった。古俣は1年計画でお店の改善策を考えた。
「最初の1ヶ月は、状況の把握とスタッフさんたちとのリレーションづくりに努めました。2ヶ月あたりから面談を行い目標を決めました。目標は“お店を綺麗にすること”“クレームの撲滅”この2つです。3ヶ月目ごろから少しずつ改善が進み、1年後、当初描いたイメージのお店となりました。オペレーションの変更など、スキル的な改善はうまくゆきますが、難しいのはスタッフと社員をいかに成長させるかです。ここが伴わないと本質的な解決には至りません」。

僕が後輩の育ての親になる

力の源の好きなところについて尋ねてみた。
「尊敬できる先輩と、同じ苦労を共にしてきた仲間がいることですね。店主の緒垣さんは私の育ての親ですね。同じ千葉エリアで仕事をしていることもあり、さまざまなことを教えていただきました。今度は僕が後輩たちの育ての親になりたいです。進むべき道が見えずに苦しんでいる後輩たちがいます。自分で自分の扉を開けるようにサポートしてゆくことが自分の新たな役割だと感じています」。
古俣は今、力の源という成長軌道に乗った組織とともに走っている。暖簾分け、独立など選択肢はいろいろあるが、この組織の中で組織を引っ張る存在としてのポジションを見つけてゆきたいと語る。
個人のビジョンは。
「就職してからほとんど実家に帰っていません。祖父母も健在ですので、家族でゆっくり過ごす時間をとって、これまでの報告とビジョンを語り、成長した姿を見せたいですね」。
現場を熟知した、頼もしいリーダーが育っているようだ。