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ここで通用したら
どこに出ても通用する

木村 拓海

TAKUMI KIMURA

名島亭本店(現・RAMEN EXPRESS 博多一風堂 ららぽーとEXPO CITY店)

様々な仕事を経験して力の源へ

北海道小樽市に木村拓海は生まれ育った。北照高校を卒業後、地元のメッキ加工会社に勤めるも仕事に興味を覚えず4ヶ月で退社、高校生気分が抜けきれずにその後半年ほどブラブラしていた。気を取り直し、翌年新日本海フェリーに契約社員として入社し船内のレストラン部門に配属となる。新日本海フェリーは、小樽と苫小牧を拠点に、秋田、新潟、敦賀、舞鶴を結んで運行している。木村の勤務は20日間乗船して10日間休むというサイクルであった。レストランでは、接客をメインとしつつ、食材のカット、包丁の使い方などを覚える。このときに飲食業へ第一歩を踏み出したと言えそうだ。同社には5年ほど勤め23歳で退職する。お金を貯めるため、カラオケ店や居酒屋でバイトをし、調理を勉強しようと25歳のときに友人の伝手を頼りに福岡に居を移す。

福岡では『博多つつじ庵』に2年ほど勤めたのち、JR博多シティの『牛たん炭焼 利休』に移り、夜は『ホウテン食堂 奉天本家』でアルバイトに入る。当時『ホウテン食堂』に勤めていた江端洋輔が小樽時代の小・中・高の同級生であったことによる。
当時の店長は小林大輔。木村は小林から調理の基本を一から学ぶ。開店当時は暇だったこともあるが、小林はお客様から注文を受けると、一品一品お客様用とは別に勉強用の見本を作ってくれた。小林が丁寧に教えてくれたことは、その姿勢とともに木村の大切な学びとなっている。

小林が商品開発へと所属が変わると坂下大樹が店長となる。坂下からは人との接し方を学んだ。坂下は、強面の印象はあるが、人間味あふれる上司だと語る。「坂下さんは一見怖くはありますが、人間味があり人を大事にします。注意したあとはきちんとフォローをして、放置することはありませんでした。面倒見がよく兄貴肌の人です。お客様とも常にコミュニケーションをとり、常連客が増えてゆきました」。坂下が店長になって、平日の売上げは10万円から10~15万円に、週末は20万円から30万円へと、一日の売上げベースが10万円ほどアップしたという。一時『ホウテン食堂』を離れていた江端が帰ってくると、坂下は江端を店長に育てて商品開発部へと異動になり、木村は『名島亭』へ移り社員となる。

『名島亭』を全国ブランドに

『名島亭』は店主・城戸修が育てた、福岡を代表する名店である。2008年に放送されたFBS福岡放送「九州ラーメン総選挙2008」で1位を勝ち取るなど、テレビや雑誌にたびたび取り上げられ、地元密着でありながら、福岡県下、さらには県外から通うファンも多い。
前から城戸店主と親交のあった河原会長は、『名島亭』をサポートして全国に展開しようと試みている。

木村は、新横浜ラーメン博物館『名島亭』で研修を受け、キャナルシティ店の立ち上げに参加した。さらにJRJP『名島亭 博多店』の立ち上げに参加した後、『名島亭』本店に異動し、本店をさらに磨き上げる取り組みと向き合っている。木村は力の源について語る。「数ある飲食企業の中にあって、安定していて不安がありません。人を育てる仕組みが整っていて、自分次第でチャレンジできます。希望があります。特に、くしふるの大地の研修はいつも思い出します。今まで経験したことがない研修でした。同期の人はいつも気になります。今、何をしているのかな?と。」

木村は『名島亭』本店でスープづくりに取り組んでいる。『名島亭』の源流がこのスープにあると感じているからである。「城戸店主が目指すのは“真に美しい味”です。今日食べても、次の日にまた食べたいと思えるような、シンプルでスマートな味です。ラーメンの心臓にあたるスープには惜しみない情熱と愛情を注がれています。スープは豚骨100%で、久留米ラーメンでよく見られる手法である「呼び戻しスープ」によって、釜を空にすることなく、減った分の出汁を継ぎ足してコクを重ねてゆきます。豚骨を炊くのは久留米で作られた五右衛門釜。火力が強く、保温性が高いですが、その反面、わずか10分でも目を離すと風味が失われてしまいます。これを巧みに使いこなし、豚骨本来の旨味を凝縮させるのが、『名島亭』のスープです。」

木村は、毎日作っていても、その日の状態によって微妙に味が変化すると感じている。このスープを極めて『名島亭』の味を全国に伝えることを目指している。『名島亭』は現在4店舗、来年2月でラー博店が幕を閉じる。稼ぎ頭を失うことになるが、本店をしっかりと安定させることにより、『名島亭』の存在感を高めてゆきたいと考えている。木村は今年『福岡名島亭』の一員として札幌ラーメンショーに参加した。その時のことを驚きをもって語る。「福岡からは、『福岡新風』と『福岡名島亭』が出店しました。福岡のラーメンブランドは強力で札幌で大ヒットしました。最終日には『福岡名島亭』が1,800杯、『福岡新風』は2,000杯とすごい反響でした。潜在力は大きい。如何に伝えてゆくかだと確信しました。」

力の源はWin-Winの会社です

―これからの抱負については。
「まだまだ勉強しなくてはいけません。数字を見る力も足りません。仕事を覚えて早く店長になることを目指しています。」

―どんな店長になりたいか。
「現在砂坂さんが店長ですが、砂坂さんが作ったチームをきちんと引き継ぐことが第一ですね。それができたら、自分の思いを少しづつ形にしてゆきたいですね。自分の課題はチーム作りにあると感じています。年齢の近い若い人の気持ちは分かりますが、主婦の方や年配の方とのコミュニケーションを学ばなくてなりません。いかに信頼感を得るかが大切だと思います。」

―力の源で学んだことは。
「ここで通用したらどこでも通用します。幾度かは、もう駄目かな、続かないかなと思ったこともありますが、周りの人たちのサポートのおかげで踏ん張れました。ここで実績を積んで店長にならないと、次はないでしょう。店長にならないと見えてこないものもありますから、まずは店長を目指しています。それが叶えば、自分の店を持つことも新たな希望となるでしょう。」

木村は穏やかな青年である。「会社のために働くことが、結局自分のためになる。力の源はWin-Winの会社です。」と最後に語った。