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独立起業を目指して経営の勉強を積み重ねる。
意志あれば道あり…力の源で人生を拓く。

船迫翔伍

一風堂クロスガーデン川崎店店長

面接で真剣に向き合ってくれたから、力の源に魅かれた

福島県双葉郡浪江町に船迫翔伍は生まれ育った。地元の小高工業高校電気科を卒業すると、神奈川の東海大学政治経済学部に進学する。ゆくゆくは独立して起業を考えており、やりたいことを見つけることが大学進学の目的の一つだった。
そんな折、船迫が3年生のとき東日本大震災が故郷を襲う。浪江町は甚大な被害を受け現在でも帰宅が制限されている。船迫は語る。
「故郷の自宅は流され跡形もありません。幸い家族、親戚は無事でした。知人には亡くなられた方も多く、それを思うと今でも複雑な心境です。生き残った私たちは、自分の役割を見つけて全力で生きてゆくこと、それがなすべき使命と考えるようになりました」。
船迫は、企業を外から見て学びたいと思い銀行を受験する。しかし最終面接で失速する。そんなとき、就職紹介会社から力の源の情報を得る。
「力の源のことは面接のときに初めて知りました。私はビジョンも固まっていなくて、ただ漠然と独立・起業を考えていました。面接で対応していただいたのは伊藤さんでした。伊藤さんは『そんなの甘い』と一喝して、私と真剣に向き合ってくれました。そのような面談は初めてで、力の源という会社に魅かれた次第です」。そして2014年4月力の源に入社する。

菊原、中山から多くのことを学ぶ

船迫は福岡で一ヶ月の新人研修を終えると店舗での実習に入る。最初の現場は名古屋の本町通り店、店長は菊原隆介。船迫は訳も分からず目の前の仕事をこなすのに精一杯だった。半年後、新店の飯田橋サクラテラス店に異動する。それから、豊洲店、池袋店、イクスピアリ店を巡回して現場に入りながら、12月に豊洲店へ異動となる。そして、2015年4月中山雄太郎が店長を務める横浜ポルタ店の配属となる。船迫は中山から多くのことを学んだという。
「中山さんは真っ直ぐで自分の気持ちに正直な店長でした。気性が激しいところもありましたが、スタッフに対する思いは強く、常にスタッフの成長を望んでいました。自分は内心は熱いのですが、感情を表に出すタイプではありません。表現しなくてはならないとき、自分に足りないところを中山さんから学ばせていただきました」。
菊原店長については、「今思うと菊原さんの気持ちが少し分かります。人をよく見る店長でした。失敗して落ち込んだときもしばらく泳がせていただいたようです。いよいよ切羽詰まると、初めて手を差し伸べてくれました。人との関わり方が上手でした」。

店長になって180度見え方が変わった

船迫は横浜ポルタ店から6ヶ月経つと、中山が店長を兼務するクイーンズイースト店へ、さらに2016年2月にはクロスガーデン川崎店へと赴き翌年4月に店長となる。入社3年目でつかんだステージである。店長の仕事について聞いてみた。「180度見え方が変わりました。セカンド社員のときは、セカンドも店長もやることは同じで、プレーヤーとして自分の強みを出せばいいと思っていました。しかし、店長の仕事はまったく別でした。また、この1年間は異例にも直属の上司が4人変わり、川崎奏さん、石本祐樹さん、荒川勝利さん、現上司の森下雄介さんといった方々4名と働かせて頂く機会をいただきました。それぞれ違う考えや見方を持っており、何が正解か分からなくなっていましたが、この経験が糧となり、今の私を支えてくれていると感謝しています。と同時にとても学ぶことが多い1年間でした。スタッフを主役にするために自分の立ち位置を変えて、お金と人とのマネジメントを行うこと。川崎店では年間およそ1億2,000万円の売上がありますが、発注や採用などの費用対効果を真剣に考えるようになりました。そして、自分の分身をつくるにはどうしたらいいかを常に心掛けています。店長を育てないと次のステップには行けませんから」。
川崎店では今年4月キャリアのある大学生が一挙に16名巣立っていったそうだ。採用の計画性も含めて学ぶことは多岐にわたる。ようやく人も揃ってきたので、人づくり、仕組みづくりに取りかかるという。力の源の好きなところについて聞いてみた。

意志を持てば多くを学べて楽しくなる

「人を大切にしていて、人の成長を真剣に考えているところですね。仕事の面では厳しいところも感じますが、世の中を生きていく上での訓練をさせていただいています。そして、いつも原点に立ち返らせてくれる風土を感じます。『価値、貢献、笑顔、成長』など、大切な言葉が共通言語として定着しており、どういう道を選択するかは常に自分にあります。意志を持って当たれば、多くのものを得ることができますね」。
ビジョンについては。
「独立起業が私の目標です。暖簾分けへのチャレンジか、別の選択かは思考中です。急ぐよりも今は経営の勉強をしっかり積み重ねたいので、チームリーダーになることも大切なステップだと考えています。祖父が食材の卸と加工の会社を経営しており、両親が祖父の会社から食材を仕入れて和食のレストランを営んでいました。そんな環境でしたから、自然と起業したいと思うようになりました。30歳までに方向性を固めたいと考えています。冒頭の紹介でもありましたが、私は今でも地元福島県浪江町が大好きです。将来どれだけの人間が地元に戻り復興していくかは分かりませんが、私もどんな形であれ貢献していくことが最大の夢です」。
力の源は、自分の意志で行動すれば、本当に楽しくやりがいのある会社だと船迫は語る。もうすぐ3人の家族になる船迫家。仕事と家庭と、楽しみな未来が拓けてゆきそうだ。