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2ANA×一風堂のラーメン

一風堂のラーメンが
ANAのシグネチャーミールへ

関口一風堂のラーメンをANAに採用していただいた、最初のきっかけというか、背景はどんなことだったのでしょうか?

鈴木会長の河原が「飛行機の中でラーメンを出したい」と私に言ったことから始まったんです。ちょうど弊社が創業30周年を控え、たまたまですがANAさんも同じ年に国際線就航30周年を迎えようとしていたところで、両社にとっていいきっかけにもなりましたね。

山本そうでした。あれは私が全日空商事に出向していた時期の2013年から機内サービスとしてスタートしましたね。

室園実は最初の頃、社内では外国のお客様にトンコツの匂いが受け入れられないんじゃないかという意見もあったんです。一風堂さんはNYに店を出して大人気だけどな、と僕は内心で思っていましたが…。スタートしてみたら大好評で、外国の方はスープパスタの感覚なのか、むしろ最後までスープを残さず飲んでくださいました。

今はむしろシグネチャーミールになってきているのかなと思っていますね。シンガポール航空に乗ればサテーが出てくるように、UAなら温めたナッツが出てくるように、あそこに行けばこれがあるというものを常々企画したいと思っていたのですが、ANAにとっては一風堂のラーメンがそうなりつつあるのかもしれません。
※ シグネチャーミール:看板料理。ここでは航空会社の代表となるメニューの意味。

鈴木力の源は一般的にはラーメン屋だけの企業と思われていますが、実は違うんです。農業法人をやっていたり、共同購買システムを作っていたり、教育事業など、いろんな発展性を持っています。食を通じて、日本の元気の良さ、日本の文化や食文化、日本の“ありがとう”を世界中に伝えていきたいというのが河原の考えであり、この会社のベースにあるものです。

私も日本と世界を結び付ける仕事がしたいと思っていますので、自分のやりたいことと、これからの一風堂の方向性が重なって今があります。ANAの機内食に協力できたこともそのひとつであり、これからの一風堂にとって大きな一歩でした。

3入社のきっかけ

日本と世界の懸け橋になっていく企業を目指して

関口ANAと言えば、学生の就職活動においても、常に人気企業ランキングのトップランクに入る企業ですが、山本さんはその中で、どのようにキャリアを伸ばしてこられたのでしょうか?

山本入社したのは1981年のことです。その当時はあまり女性が活躍するという時代ではなかったので、女性の就職先としては航空会社や商社、保険会社が人気企業でしたね。私は接客やサービスというものに興味がありましたので、多くの人と接する仕事をしたいと考えて航空業界を選びました。

関口人と接する仕事に興味があったのはどうしてですか?

山本学生時代に横浜にあるベーカリーでアルバイトをしまして、その時になんとなくですが接客業は楽しいと感じていました。性格的にも、定時勤務のような枠にはまる仕事は自分には向かないのではないかと思っていたんです。ある程度自由度があって、裁量を任せてくれるところが向いているのではないかなと。

それに、日本各地に行って美味しいものを食べたり、いろんな方たちとお話しできたり、航空会社にはそういう楽しみもありますよね。動機は割と単純なんです(笑)

関口鈴木さんには、力の源に転職したきっかけを聞いてみたいです。

鈴木日本航空で大変お世話になった上司がいて、その人が現会長の河原と知人だったんです。それで、一風堂が海外展開をする上でいい人財を探しているから、一度話だけでも聞いてみたらどうか。という話をもらったんです。その時はもう日本航空は定年退職していましたが、別のところに勤めていたのでびっくりしてね。「ラーメン屋ですか?」と(笑)。日本航空では機内食を手がけたり、JALホテルズでレストランを作ってシェフを探したりしていたので、飲食関係の知識があったということで、その方も声をかけてくれたんだと思います。

それからすぐに麻布だったかな、河原と会って夜中の2時くらいまで話しました。それで、この人だったら一緒に働きたいなと思ったんです。彼の人柄や、会社に対する想いに魅了されたんです。河原と話して、これはお手伝いする意義があると確信しました。日本航空に30何年勤めていたこと以上のやりがいがあるかもしれない。そう思えたことが最終的に決めた理由です。その元上司のおかけで、一風堂と巡りあって面白い仕事をさせてもらっています。なにより、一緒に働いている当社のメンバーが本当に精力的に明るく、そしてよく働きますね。他の企業にも劣らず「人」が魅力的だと思います。